日々思ったことを書き留めました。よろしければご笑読ください

VOL6  2/17 祈・「現地講座」再開

 しばらく現地講座を催行していないからか、受講生とウオーキングをしている夢をみた。どこか見覚えがあるような森の道にホウバ(朴葉)がたくさん落ちていた。

朴の木は飛騨に多い。春の緑いろの葉はホウバ寿司に、秋から冬に落ちて枯れる茶色の葉はホウバ味噌に使われる、地元では重宝な樹木。地面が見えないほどのホウバの落葉の山道をよく歩いた一時期があった。

 (さて、ここからは夢の話ではなく実話です)その頃によく参加して下さっていた受講生Kさんが、「まだ枯れきっていなくて、きれいな形のホウバを10枚一組にしてもっていけば名古屋の料亭で100円で買ってくれる」と教えてくれた。板さんの経歴を持つKさんの情報は信ぴょう性が高い。そこで・・一番後ろを常に歩いていた私とKさんは歩きながら不遜にも売れそうなホウバを探し始めた。夢中になるとグループから遅れそうになり先導の講師から「おーい、後ろー、何してる!」と度々叱られた。  

 なにしろ、無数に見えるほどたくさん落ちているのだから、10枚1セット×10くらい軽いもんだよ、そうすると…今日だけで…と胸算用しながら懸命に探すのに、これが、いつまでも見つからない!のです。

 これこそ完璧な葉、と思って拾ってみれば裏面にふたつ虫食い穴が開いていたり、ふちだけが破れていたり、サイズが微妙に小さかったり。それでもあきらめない二人、だんだん無言になってしまった二人。

 何回目かのある時、ふいにKさんが「もしかしたら完璧な葉ってもともと無いんじゃない?」と言ってアハハハと笑った。私も「そうか、無いものを探しているんだから見つかるわけないですよね~」と笑い返しながら、しごく当たり前のことなのに、何かものすごい事実がすとんと腑に落ちたことを覚えている。

 美しい景色や清々しい空気ばかりかいろいろなことも教えてくれた現地講座よ。コロナが終息したら、また皆さんと行くことができますように。早くその日がきますように。

 

VOL6  1/28 「歌おう講座」解散のこと

 レギュラーで月2回、何年も続けてきた「みんなで歌おう」講座をいったん解散することにした。先生から「とてもつらいけれど、この状況で人を集めて声を出してくださいということ自体が無理」とお申し出もあったからだ。本当にその通りだし、先生の英断だと思った。そのうえ主催者としては参加者から受講料もいただいている。お金をとって、大声を出させているということになる。食事の席でもなるべく声を出さないように…といわれている中で、飲食店も本当にその対応に苦しんでいる中で、いくら政府の自粛要請業態に含まれていないからといって、安全防止策を講じているからといって、それはできない。悔しく悲しいけれど「歌おう」の講座はコロナ終息までやめよう、その分、他の講座を何とか工夫しよう。それくらいの判断力は持っていたい。

VOL4  1/25 「勇気と元気をいただきました」

 もう1カ月前のことになってしまったが、昨年12月23日に開講した「クモの糸でバイオリン」は、とても楽しかった。蜘蛛の糸というものの特性と可能性を信じて40年以上研究を続けた大﨑先生に「世の中のなんの役に立つの?と言われても続けられる力の源って何ですか?」と不躾な質問をした。「楽しいからやな」と先生。そしてそのあと実際に聴いたクモの糸のバイオリンはとても深い音色がした。

 

VOL3 12/15 「数字には直接表れない大きな損失」

 キャンセル料については国が50%責任を持ちます、できるだけ損はさせないようにするから大丈夫」って。ああこの政治家たちは分かっちゃいない。自粛期間に耐え、やっと再開できる、そのために萎えそうになっていた希望と気力を引っ張り出し、心を持ち直し、よし、もう一度頑張ろうと体力の限りを使って準備をしてやっと…と日常を取り戻しかけたと思った直後急転、「予約を取り消します」「キャンセルします」「はい、わかりました。またぜひよろしくお願いします」この何十回のやり取りが商売人にとってどれほど心が折れるかを。そんなことは言えば甘えととられるだけだからと思って皆、口にしない。けれどこの目に見えないストレスがどれほど「ウィズコロナ社会」とやらにマイナスを与えるかを。

VOL2  12/10 「声なき叫びを「うた」にしろ!」

形にならない声というものがある。現在を生きている人の叫びだ。例えばどこかの新聞でコロナ禍中の思いを謳った短歌を募集している。そこに応じて集まる歌はアマチュアといえどもすでにことばを選び整えることを知っている人がつくったものだ。それはもちろんその人の思いが乗ったものには違いないが、もっと原初的なことばの発信、形にならない訴えに今こそ当代の一流歌人は耳を傾け、誰の心にも届く「うた」という形に整えていくよう導くべきではないか。歌になった歌を評するのではなく、もう一段地場に降りる時なのではないかと思うのだ。同時にコロナ禍中、後(まだ早い!)をさかんに分析する学者にも思う。己の知観で示唆することよりも、現実を生きている人がこの数か月何を思い、何をしてきたかをまず地に降りて拾い集めてみたらどうか。そしたらこの段階でそんなきれいにまとめられないから!

VOL1 12/4 「この時に古典を読む」

久しぶりに講座で古典を読む。この文学作品が現在に至る1000年近くの間には、疫病もあり飢饉もあり政情不安もあったはずだ。それをくぐりぬけてきたものを読んでいるのか。エライものだと思う。コロナ禍ただ中の今、あらためて古典文学を読み継ぐ意味がはっと体感できたようなひととき。