日々思ったことを書き留めました。よろしければご笑読ください

VOL12   2023/03/06  答えの出ない事態に耐える力

   2023年最初のソフィの特別講座には横浜から精神科医でお寺の住職もされている川野泰周先生に来ていただいた。ラジオで聴いた先生の声とお話が印象的だったので対面での機会を創りたく思い、ぜひ、とお願いしてコロナ感染が落ち着くのを待って、実現。
 そのとき「ネガティブケイパビリティ」というやや長い用語を教わった。ネガティブケイパビリティとは「答えの出ない事態に耐える力」をいい、早く正確に答えを出そうとする能力とは違う質のものだという。答えの見つからない状況はつらい、とくにそれが続くのは耐え難い。そういう自分をじっと観るのだそうだ。心を静めて。
  気の紛れる音をガンガンかけたり、ただ目をつぶったりして嵐が過ぎるのを待ってる態度じゃだめなのね…なかなかの難行である。

VOL11   2022/11/11 落ち葉の季節に

 駅から会社への通り道に銀杏の街路樹が続いているところがあって、黄色い葉が風に吹かれて木の下に降り積もっていた。幼い子がその葉に埋もれるように本当に楽しそうに転がって笑っていた。きっとこの子の記憶のどこかに今日の銀杏の輝くような黄色が残るのだろうなと思った。
 私の住む街では昨今、9月初めには街路樹の伐採が行われて紅葉の前に葉をつけた枝が切られてしまう。落ち葉の掃除が大変だということで周りの住民から「早めに処置してほしい」との要望が自治体に寄せられたのだと聞いている。確かに近辺の人は大変だろうと思う。
 しかし、何か大切なものを皆で失っているような気がしてならない。実際、一番美しい季節に丸坊主になった木々が並んでいる様子は不気味で無残に見える。何のための街路樹なのだろうという疑問も湧く。
 せめて葉が落ちる直前のタイミングで何らかの方策を考えるのは無理なのだろうか。迷惑をかけたり掛けられたりしながら暮らしていけばいいというのは今や通用しない話なのだろうか。ちなみに私は神社のすぐ前に住んでいて家の前に大量のドングリと葉が落ちてくるため毎年掃き掃除に追われるが、損をしているとは思わない。精神的に得られるものも多く、それがこの場所で暮らすということなのだと思っている。

VOL10  2022/8/18 夏便りをいただいた

  一通は、昔の飛び出す絵本のような感じのカードで、明かりのついたビル群とその向こうに三日月、色とりどりの打ち上げ花火、川に浮かぶ屋形船上手く立体の三層になっている。都会の夜景を切り取って見ているような感覚を寝ながら眺めて楽しんだ。「いくらかでも涼を感じてね」というメッセージもうれしかった。
 もうひとつは、お盆に届いた「字てがみ」で、実にその人らしい大きな「幸」という字がはがき一杯に書かれていて、「最近習い始めたので書いてみました」と添え書きがあった。相変わらず新しいことにチャレンジしてお元気だなあと感心しながら、あまりに人柄と字てがみから醸し出される雰囲気の一致に笑ってしまった。ストレートでシンプルなものが何だかとても心に響いた夏でした。

VOL9  10/27 今さら「SNS考」

 SNS(ソーシャルネットワークサービス)が一般的になってどの位経つだろう。あらゆる分野で活用され、便利なのは確かだが、SNS一辺倒には若干辟易する。金融サービスしかり、行政・福祉サービスしかり、コロナワクチン接種しかり・・・。スマートフォンが無くては生活がうまく回らなくなると思わされるほどだ。
 一方では、SNSを使ったいじめや迷惑行為、詐欺まで横行するようになると、少し離れて斜めから見ざるを得ない。自身もパソコンやスマホを使ってはいるけれど、何かを忘れているようで落ち着かない。現実空間での人と人の出会いが、知識や心の潤いを共有できるのではと、オンライン流行りのカルチャー業界を目の当たりにして憂う。真の学びは液晶画面の中にはない。

VOL8  4/22 「春の花」と言えば…?

 少し前にテレビ番組で「どんな花が咲くと春を感じますか」と出演者に尋ねていた。ミモザ、タンポポ、梅、桜、木蓮…。そこには出てこなかったけれど、春の空色を映したような小さな花。今日も石段の下あたりにたくさん咲いていた。こんなにきれいでかわいいのに!誰が名付けたか「オオイヌノフグリ」。

VOL7  4/17 自問自答 ♯ジェンダー

JOC会長辞任騒動について。何に対して怒ったのか、ちょっと引いて考えてみる。

①日本の爺さまの多くが昔から頑として頭中に持ちながらえてきた「女は…」「女ってやつは…」という思考回路を、令和の世になってもあらためて見せつけたから、だろうか。

②そういう爺さまをトップに据え、権力を持たせることは仕方なし、あるいはそれこそ安定性があるのだと認め合う、相も変わらぬ日本的組織の在り方に、だろうか。

③「女性がいると喋りが長くて、進まない」って、会議を捌く司会者としての能力がないだけじゃんと思うから、だろうか。

④女性を「参画」させることイコール「男女平等」なんだと未だに疑わない能天気な社会に対して、だろうか。

⑤何か知らんがこういうことがあると怒りが噴き出す、のだろうか。

【考えてみました】

①他人の脳みその構造を変えるのは至難だ。そういう人の周りでいろいろな人が、あらゆる角度から時間をかけてあきらめずに訴える必要がある。

②今回のようなことがきっかけで組織を変えることができたら、次のステップとしてそれを維持する力が大事だ。ケチな損得なしの覚悟も要る。

③会長が必ずしも司会をする必要はない。それだけだ。

④多様性や平等について、実は自分だって考える暇なく、耳ざわりの良いスローガンに踊っていたのでは?!

⑤噴き出したマグマが冷えたところで、岩石を種別して分析するほどの、忍耐と努力と恥かく覚悟はあるんか。あるなら吠えろ。

 等々、ま、考えることはたくさんあるけれど、実は自分が何に怒っているのかも分からないまま、今はジェンダー持ち出せばそれなりに耳を傾けてもらえそうだからって、そんな「勝ち」が見通せるところだけで正義を叫ぶのだけはやめとこう。

 

 

 

 しばらく現地講座を催行していないからか、受講生とウオーキングをしている夢をみた。どこか見覚えがあるような森の道にホウバ(朴葉)がたくさん落ちていた。

朴の木は飛騨に多い。春の緑いろの葉はホウバ寿司に、秋から冬に落ちて枯れる茶色の葉はホウバ味噌に使われる、地元では重宝な樹木。地面が見えないほどのホウバの落葉の山道をよく歩いた一時期があった。

 (さて、ここからは夢の話ではなく実話です)その頃によく参加して下さっていた受講生Kさんが、「まだ枯れきっていなくて、きれいな形のホウバを10枚一組にしてもっていけば名古屋の料亭で100円で買ってくれる」と教えてくれた。板さんの経歴を持つKさんの情報は信ぴょう性が高い。そこで・・一番後ろを常に歩いていた私とKさんは歩きながら不遜にも売れそうなホウバを探し始めた。夢中になるとグループから遅れそうになり先導の講師から「おーい、後ろー、何してる!」と度々叱られた。  

 なにしろ、無数に見えるほどたくさん落ちているのだから、10枚1セット×10くらい軽いもんだよ、そうすると…今日だけで…と胸算用しながら懸命に探すのに、これが、いつまでも見つからない!のです。

 これこそ完璧な葉、と思って拾ってみれば裏面にふたつ虫食い穴が開いていたり、ふちだけが破れていたり、サイズが微妙に小さかったり。それでもあきらめない二人、だんだん無言になってしまった二人。

 何回目かのある時、ふいにKさんが「もしかしたら完璧な葉ってもともと無いんじゃない?」と言ってアハハハと笑った。私も「そうか、無いものを探しているんだから見つかるわけないですよね~」と笑い返しながら、しごく当たり前のことなのに、何かものすごい事実がすとんと腑に落ちたことを覚えている。

 美しい景色や清々しい空気ばかりかいろいろなことも教えてくれた現地講座よ。コロナが終息したら、また皆さんと行くことができますように。早くその日がきますように。

 

VOL6  1/28 「歌おう講座」解散のこと

 レギュラーで月2回、何年も続けてきた「みんなで歌おう」講座をいったん解散することにした。先生から「とてもつらいけれど、この状況で人を集めて声を出してくださいということ自体が無理」とお申し出もあったからだ。本当にその通りだし、先生の英断だと思った。そのうえ主催者としては参加者から受講料もいただいている。お金をとって、大声を出させているということになる。食事の席でもなるべく声を出さないように…といわれている中で、飲食店も本当にその対応に苦しんでいる中で、いくら政府の自粛要請業態に含まれていないからといって、安全防止策を講じているからといって、それはできない。悔しく悲しいけれど「歌おう」の講座はコロナ終息までやめよう、その分、他の講座を何とか工夫しよう。それくらいの判断力は持っていたい。

VOL4  1/25 「勇気と元気をいただきました」

 もう1カ月前のことになってしまったが、昨年12月23日に開講した「クモの糸でバイオリン」は、とても楽しかった。蜘蛛の糸というものの特性と可能性を信じて40年以上研究を続けた大﨑先生に「世の中のなんの役に立つの?と言われても続けられる力の源って何ですか?」と不躾な質問をした。「楽しいからやな」と先生。そしてそのあと実際に聴いたクモの糸のバイオリンはとても深い音色がした。

 

VOL3 12/15 「数字には直接表れない大きな損失」

 キャンセル料については国が50%責任を持ちます、できるだけ損はさせないようにするから大丈夫」って。ああこの政治家たちは分かっちゃいない。自粛期間に耐え、やっと再開できる、そのために萎えそうになっていた希望と気力を引っ張り出し、心を持ち直し、よし、もう一度頑張ろうと体力の限りを使って準備をしてやっと…と日常を取り戻しかけたと思った直後急転、「予約を取り消します」「キャンセルします」「はい、わかりました。またぜひよろしくお願いします」この何十回のやり取りが商売人にとってどれほど心が折れるかを。そんなことは言えば甘えととられるだけだからと思って皆、口にしない。けれどこの目に見えないストレスがどれほど「ウィズコロナ社会」とやらにマイナスを与えるかを。

VOL2  12/10 「声なき叫びを「うた」にしろ!」

形にならない声というものがある。現在を生きている人の叫びだ。例えばどこかの新聞でコロナ禍中の思いを謳った短歌を募集している。そこに応じて集まる歌はアマチュアといえどもすでにことばを選び整えることを知っている人がつくったものだ。それはもちろんその人の思いが乗ったものには違いないが、もっと原初的なことばの発信、形にならない訴えに今こそ当代の一流歌人は耳を傾け、誰の心にも届く「うた」という形に整えていくよう導くべきではないか。歌になった歌を評するのではなく、もう一段地場に降りる時なのではないかと思うのだ。同時にコロナ禍中、後(まだ早い!)をさかんに分析する学者にも思う。己の知観で示唆することよりも、現実を生きている人がこの数か月何を思い、何をしてきたかをまず地に降りて拾い集めてみたらどうか。そしたらこの段階でそんなきれいにまとめられないから!

VOL1 12/4 「この時に古典を読む」

久しぶりに講座で古典を読む。この文学作品が現在に至る1000年近くの間には、疫病もあり飢饉もあり政情不安もあったはずだ。それをくぐりぬけてきたものを読んでいるのか。エライものだと思う。コロナ禍ただ中の今、あらためて古典文学を読み継ぐ意味がはっと体感できたようなひととき。